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婦選アーカイブス

機関誌『婦選』に若き男性彫刻家の応援

婦選獲得同盟の『婦選』は、1927(昭和2)年1月号から編集長市川房枝、担当金子(山高)しげりの体制で創刊。当初は大判16ページであったが、29(昭和4)年11月から菊判の雑誌型68ページに変更、翌年1月号より創刊当初から題字、カットを担当していた若き彫刻家木村五郎の描く表紙に新装している。


原画は網の目の凸版模様が黄色に彩られ、添えてある市川房枝宛の書簡には、「気の効いた表紙にしたい」という気持ちと課題を伝えている。当時としては、貴重な若き男性の“婦選”への応援である。因みに木村は、「第1回婦選獲得演説会」(25<大正14>年)で市川房枝の講演を聴いたことがきっかけで「市川房枝美人論」を書きたいなど、市川ファンとなったというエピソードは、市川の「自伝」にも記されている。


『婦選』は35(昭和10)年まで続き、翌36年『女性展望』と改題、41(昭和16)年8月終刊した。『婦選』に寄稿した当時活躍していた著名女性群の原稿が、校正入りで残されている。
(『女性展望』2011年4月号 掲載)

『婦選』昭和5年1~12月号の表紙に使われた木村五郎の原画>

市川房枝宛の手紙の一部


『婦選』昭和10年1~12月号の表紙に使われたイラストの原画


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