· 

アメリカ女性参政100周年記念オンラインシンポジウム

 100年前の8月26日、米国では憲法19条修正により女性たちが参政権を獲得した。これを記念して2020年同日にアメリカ女性参政権100周年のオンライン・シンポジウムが開催された(主催:市川房枝記念会女性と政治センター、共催:アメリカ大使館、後援:クオータ制を推進する会・国際婦人年連絡会・国連NGO国内女性委員会。日英同時通訳・手話通訳つき)。

はじめに、当財団金子理事より挨拶と趣旨説明があった。市川房枝は1921年に渡米して、アリス・ポールの全国女性党など女性参政権団体を見学し交流している。29年同党幹部が来日し、婦選獲得同盟に党の「三色旗」(婦選会館所蔵)を寄贈した。この旗は会場で掲示、紹介された。次に、アメリカ大使館よりキャロリン・グラスマン広報文化・交流担当公使から挨拶があった。続くシンポジウムでは3報告があった。


「アメリカ女性参政権運動の歴史概要」

栗原涼子氏(早稲田大学など非常勤講師)

 

女性参政権運動の起源は1848年セネカ・フォールズの女性の権利大会とする説が多い。南北戦争後に憲法修正14条、15条が成立し、アフリカ系男性の市民権・参政権を規定した。この動きを背景に、1869年女性参政権を求めて二つの団体、全国女性参政権協会(NWSA)とアメリカ女性参政権協会(AWSA)が結成された。

 

1890年にこの二団体は統合し(全米女性参政権協会(NAWSA))、以後、運動は活発化する。1917年同協会より全国女性党(NWP)が分立し、第一次世界大戦の戦争協力ではNAWSAと対立する。こうした曲折を経て1920年憲法修正第19条が成立し、女性たちは参政権を獲得する。

 

成立後にはERA(男女平等憲法修正案)をめぐって、これを支持し男女平等を主張するNWPと、母性保護を訴える全国女性有権者同盟(NAWSAの後身、NLWV)とが対立した--と従来考えられてきた。だが、法の成立をめぐって州権を重んじた前者と、連邦主義をとった後者との違いを示す研究も出てきており、1920年代初めには両団体が共に男女平等の社会福祉国家を構想するというヴィジョンを有していたと指摘される

「米国女性の政治参加の歴史とジェンダー平等」

メリッサ・スウィーニー氏(在米国大使館安全保障政策課長)

 

米国は人種・民族のみならず社会・政治・経済面でも多様な社会である。女性の政治参加も地域や州によって、人種・民族、年齢層によって異なる。

1920年憲法修正19条成立で女性の公選職参加は進み、2020年連邦議会の女性議員は127人で過去最多となった。だが、全議席の23.7%にすぎず、このペースで行くと、50%になるにはあと97年かかることになる。

女性議員の少なさは州議会でも見られる。これは女性への期待値が男性と異なるなど、構造的な障壁が存在するからである。女性の立候補者数が少なく、女性のための政治的ネットワーク、資金調達、研修などサポートを強化する必要がある。また、女性の家事・育児負担の問題もある。女性の多様な視点と経験は民主主義社会を形成するうえで重要である。

「米国女性の政治参加の背景と、そこから何を学ぶか」

中林美恵子氏(早稲田大学教授/モデレーター兼) 

 

日本と米国ではクオータ制(議席割り当て)がないことが共通する。米国では1982年ERA(男女平等の憲法修正)が不成立となり、女性たちは立法府に女性を選出する方向へと戦術転換した。以降、連邦議会の女性議員は増え、現在、列国議会同盟のランキング(下院)では日本166位に対し米国85位である。女性立候補支援団体(1985年設立のエミリーズ・リストなど)も存在する。

人工妊娠中絶の問題では、民主党がプロ・チョイス(女性の選ぶ権利)を、共和党がプロ・ライフ(中絶反対)を支持している(上下両院の女性議員数は民主党106人、共和党20人)。一方、妊娠中絶、環境、軍事、健康問題では、男女差、党派を超えた傾向が見られる。

日本では女性議員でなくても男性議員がその声を代表できると言われる。だが、米国とは法案提出の方法が異なり(一人でも提出可能)、党議拘束も強いことが影響していて、男女議員の違いを明示することが難しい。また米国の女性議員増の背景には、NPOなど市民団体の存在も大きい。日本で女性議員が不可欠であることを示すには、立法府の透明性を確保して、有権者の理解を得る必要がある。

 

 

最後に、久保理事長より挨拶があり、多くの方たちの参加を得て盛会に終わった。このシンポジウムの概要と報告要旨は『女性展望』707号(2020年11-12月)に掲載予定である。(幸)