講師の前川喜平さんは文部省大臣官房長、初等中等教育局長、文部科学事務次官などを歴任、2017年1月退官。現在、現代教育行政研究会代表を務める。
初めに教育行政は政治と教育の間で板ばさみになることが多い分野であると述べ、「森友学園・加計学園問題と安倍政権」、「『政』の腐敗と暴走に対する歯止めとしての『官』」、「政治と教育」などのテーマで、38年間教育行政に携わった前川さんの熱い思いを語った。
当事者として直接関わった加計学園問題については、森友・加計学園問題はともに学校の設置・認可に関わる問題である。国家戦略特区にかなっているか否かの審査がきちんとされていないこと、京都産業大学が排除された内情、一連の経緯が国民に全く知らされていないことなど、まさに不公正、不公平、不透明である。愛媛県文書は官邸側とのやりとりを時系列に記録したものであり、最初から総理が関与していたことは明白であるとして、行政の私物化にほかならないと断言した。
政治家も官僚も憲法15条に定める公務員であり、全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない。しかし、政治家は往々にして一部の奉仕者になりがちである。そこを官僚が歯止めをかけなければいけないのではないかという意識を持っているという。
教育行政は国民の精神的自由権、即ち思想・精神の自由、学問の自由、言論出版の自由などに関する分野であり、ある種の畏怖感を持たなければいけないと常に念頭に置いていた。教育基本法(1947年)には「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を持って行われるべきもの」と謳われている。2006年の改正によって、「不当な支配に服することなく」は残ったが、「直接に」の文言が消えた。「直接に」とは教える者と学ぶ者とが直接の関係にあるということであって、その間に政治権力が介在しないということである。この文言がなくなったことは、法律で定めれば政治権力が教育に介入できるとも解釈される極めて危うい改正である。教育委員会は不当な支配を阻むために作られたものであるが、14年改正では首長の権限が強まるなど、やはり危ない方向に向かっている。
「政治の教育への介入と教育行政の忖度・迎合」では、高校日本史教科書の「沖縄戦集団自決」に関する07年の教科書検定、東京都教育委員会の七生養護学校事件(11年)、名古屋市立中学校の授業への文科省の介入(18年)、さいたま市の9条俳句訴訟(18年)等をあげ、このような忖度が次々と起こっていると指摘した。
18年から教科化された道徳は特定の価値観を刷り込む内容で、個人の尊厳や地球市民という観点が欠如している。主権者教育は自分の頭で考え批判的精神を持つ生徒を育てることが目的であるとして、政治教育に際して教師が自分の意見を述べることを禁じなくてよい、同時に反対意見も伝えることによって批判的精神を持つようになると述べ、ドイツの政治教育のガイドライン「ボイステル・バッハ・コンセンサス」を紹介した。
さらにアメリカの「ホロコースト記念博物館」に掲げられている「ファシズムの初期兆候」に言及し、強力な国家主義、軍隊の最優先、マスメディアの統制等々は、今日の日本でも表れている兆候ではないか。日本はファシズムに入ってしまっているのではないかと警鐘を鳴らした。
最後に現場の先生方に期待したい、主体性を持って仕事をしてほしいとエールを送った。