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私の市川房枝論③「レガシーを問う」進藤久美子さん(元東洋英和女学院大学教授)

 進藤久美子さんは東洋英和女学院大学元教授で、『ジェンダー・ポリティックス―変革期アメリカの政治とジェンダー』『市川房枝と「大東亜戦争」―フェミニストは戦争をどう生きたか』などの著書がある。アメリカ史が専門の進藤さんは、日米女性たちの政治参画を研究するなかで、理想的な女性政治家の例として、市川房枝に帰着したという。一介の、女性の参議院議員である市川が、戦後の日本政治史の中で何故屹立する存在になったのか、その要因を探りたいと前置きして、「金権選挙」「金権政治」にどのように挑戦したのか、市川の政治手法を語った。

 

 市川は「最もよき政治とは、国民の台所の米びつの中に米がいつでも満たされているようにすること」であり、同時に「夫婦子どもが和楽してそれぞれの職務にいそしむことができるようにすること」だと唱えて、政治と台所を結びつけた。戦前の家制度の中で女性が認められていた唯一の活動の場は台所であり、そこから得た女性の生活の経験と知識を政治に組み入れない男性だけの政治では、偏向してしまうと主張した。それが市川の政治理念「政治は生活」であるという。1928年に創立された婦選獲得同盟の活動の中にもすでに見ることが出来る。生活関連の問題を自分たちで掘り起こして、自治体と共同して展開していく市民運動―女中税・小市民税反対運動、ガス料金値下げ運動、ゴミ追放運動など―として実践されていた。

 

 戦後の1953(昭和28)年から86年までの市川の議員在職期間(在野期間3年)は、自民党与党、社会党万年野党という政権交代のない、いわゆる55年体制下にあり、「金権選挙と政治」「男女の役割分担を重視した女性政策」「反民主的議会運営」という3つの特色があった。市川はこれに日本婦人有権者同盟の仲間たちと徹底抗戦していく。その中で市川がとった政治手法の1つは、「世論の掘り起こし」である。政治争点ごとに市民組織を稼働させ世論を刺激し、その意見を不動のものにして政策を実現していく。

 

 「出たい人より出したい人」を掲げた理想選挙には3つの原則があった。①出たい人は供託金をはじめ選挙費用は一切出さない ②出したい側がボランティア活動で選挙活動を行う ③選挙費用は出したい側のカンパで行う―多額の寄付はだめ。まさに金権選挙への挑戦であり、選挙を国民の手に取り戻す試みだった。

 

 理想選挙の活動の中心は最寄(もより)会と青空演説会であった。最寄会は仲間が数人の知人友人を集めて、自宅に候補者を招いて話を聞く会。青空演説会では公園や団地の空き地に、選挙や政治に関心のない人に意識的に呼びけて集め、候補者はそこへ行って演説する。目的は、あなたの生活の不具合は政治で解決できる。政治は生活を守るためにあるのだということを納得してもらうこと。生活領域の問題を共有している人たちの仲間づくりをしていくことが、最寄会と青空演説会の目的であり、市川流の政治教育だった。

 

 公開された市川の選挙収支報告で、選挙に金がかからなかったことが世間を驚かせた。朝日新聞は「市川さんの家計簿」でカネのかからない選挙が理想選挙だと報じたが、市川はその論調に反発。金がかからない選挙を理想選挙というのではない。金がかからないのは理想選挙の「結果」であると。市川の選挙費用はその後も法定選挙費用の1割から2割台で終始した。

 

 市川が立ちあげた理想選挙推進市民の会には、議員の誓いと有権者の誓いがあるが、議員の誓いの1つが「議会で起こっていることを逐一報告すること」であった。議会は選挙民には見えない場であるから、議会のうそ、だまし、抜け駆け、一般的な常識では歓迎されない価値観等々をすべて知らせることを強く主張した。市川自身、60年安保や65年日韓基本条約の強行採決時の国会の状況を、「婦人有権者」「私の国会報告」で詳細に記している。ここにも市川の言う「世論が政治を動かす」ための、世論喚起の手法があった。

 

 「政治は数で動く」という言葉がある。市川は「政治は数字で動く」と言う。1961年英国の例にならい、選挙資金と政治資金の調査を始めた。候補者が選挙管理委員会に届け出た選挙収支報告書は都道府県公報に発表される。それを手書きで写す作業は大変なものであり、数名の会員や学生たちがその作業にあたったが、市川が一覧表にまとめた膨大な調査結果から、選挙と金の流れが実証された。これが『朝日ジャーナル』(1961.5.7)に掲載された「選挙と金―11月総選挙に見る資金の流れ」である。

 

 1976、77年、ロッキード疑獄事件、ダグラス・グラマン汚職事件が発生。疑惑の議員が立候補する事態に、汚職議員を当選させない運動を開始する。新聞がつけた「ストップザ汚職議員」の見出しの言葉が、この運動のキャッチワードになった。顧みれば1928年「市民は選ぶな醜類を」の合言葉で婦選獲得同盟が闘った市政浄化運動―東京市会選挙と同じ構図であった。

 

 最後に「2つの政変」―1993年の細川護熙内閣の成立と、2009年民主党政権について言及し、前者は「生活者主権の政治」を、後者は「国民の生活が第一」を掲げながらあえなく潰えたこと、そして「安倍一強他弱」の今、再び政治閉塞に陥っていると慨嘆。他方、、市川の理想選挙が1999年ころから少しずつ女性たちに引き継がれ、女性地方議員が増加しつつあることに触れて、「政治分野における男女共同参画推進法」は政治的な力、選挙を動かす力を男性が女性と共有すると宣言したものであり、この法律を使って望ましい女性を押し出し、市川の政治に繋いでいければいいと思うと述べた。(八)