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2019連続講座⑨ 世界のなかの日本政治 講師:中野晃一さん(上智大学教授)

 中野晃一さんは上智大学国際教養学部教授で、政治学が専門。『右傾化する日本政治』『戦後日本の国家保守主義―内務・自治官僚の軌跡』などの著書がある。

 1970年代末から現在までを5つの年代に分けて語った。

 

⑴新自由主義的な「国際協調主義」(1970年代末~90年代半ば)

 冷戦の終盤期で、自由主義だが極めて新自由主義的なものに移行しつつあった。日本では高度経済成長期を経て、アメリカの地位が相対的に低下していった時期である。

大平正芳が経済協力、文化外交等を強化して、総合的にわが国の安全をはかろうとする非軍事面での外交を強調した。「総合安全保障戦略」という。

 中曾根康弘は「対外的には世界の平和と繁栄に積極的に貢献する国際国家日本の実現を、また、国内的には21世紀に向けた『たくましい文化と福祉の国づくり』」を唱えた。「不沈空母発言」と言われ、軍事面でもアメリカとの協力を強化していく。このころ、日本でも「国際国家」と盛んに言われるようになったが、これは70年代から80年代の特徴である。

 小沢一郎は解釈改憲による積極的・能動的平和主義を標榜し、国連を中心としたアメリカの平和維持活動に積極的に協力するための「国連待機軍」の創設を提案。

 国際協調主義が隆盛を迎え、アジア諸国との和解が重要になったのもこのころで、教科書検定に関する「宮沢談話」(82年)というものがある。鈴木善幸内閣当時、近隣諸国から日本の歴史教科書についての懸念が出たときの、官房長官宮沢喜一(当時)の談話で、教科書検定基準の近隣諸国条項の基になった。近隣諸国に配慮した記述にしようという非常にまどろっこしいものだが、歴史修正主義に舵を切るわけではなかった。

 天安門事件(89年)では西側諸国とともに日本も中国への経済制裁に入ったが、一番早く解除した。中国を孤立させてはいけない、中国と諸国との懸け橋になって、中国の世界復帰を後押ししたという、現在の日中関係では想像できないことだった。続いて西側諸国も経済制裁解除を行い、その後の中国の経済の飛躍やグローバル化の進展に繋がる。

 89年参院選で社会党が勝利、自民党は過半数を割った。11月にはベルリンの壁が崩壊するという重要な年が89年だった。93年には河野談話が、95年には村山談話があった。他方、革新勢力は刷新に失敗、日本政治の保守化に繋がることになる。

 

⑵復古的国家主義の高まりと国際協調主義の衰退(1990年代後半)

 国際協調主義の中でリベラルな政治が行われるような部分があったにもかかわらず、90年代後半から国際協調主義が衰退、復古主義が高まる。経済的にはバブルが崩壊して失われた20年に。そして対米追随路線に政策が転換し、経済的にもアメリカ的経済モデルになる。日米安全保障共同宣言(96年)、新ガイドライン(97年)など。続いて歴史修正主義のバックラッシュが始まり、「新しい歴史教科書をつくる会」「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」「日本会議」などが創設される。「若手議員の会」の中心メンバーが、まだ若手だった安倍晋三である。一方、野中広務、河野洋平、加藤紘一など自民党の中道リベラルが衰退して、戦後生まれでポスト冷戦の新右派世代が台頭する。

 

(3)対米追随路線の確立(2000年代前半~)

 対米追随路線が急速に進んだのが小泉内閣だ。構造改革路線で経済は勝ち組と負け組に。アメリカとの関係さえあれば中国も韓国も付いてくる、日本を認めざるを得ないという小泉純一郎の考え方だった。靖国参拝も問題化し中国や韓国とのトップ会談ができなくなった。テロ特措法(2001年)、イラク特措法(03年)等の有事法制が成立。一方ではジェンダーバックラッシュが進み、君が代が強制され、中韓へのヘイト本が目に付くようになる。 

 05年第1次安倍内閣誕生。新自由主義的方向から国家復古主義的方向へ舵を切ったが、まだ好き放題にはできなかった。民主党が成長し2大政党制が出来つつあったからである。55年体制のときは自民党がずっと政権を握っていたが、野党社会党が常に3分の1の議席を持っていたこと、審議会があったこと、官僚制度も一定程度の自立性を持っていたことで、政権の中にブレーキがあった。小選挙区制の導入、省庁再編で官邸機能を強化するなど、このブレーキをどんどん壊していき、リーダー主導になっていった。

 

⑷新自由主義への部分的揺り戻しとその限界(2009~12年)

 09年民主党政権ができると、復古主義的方向からもう一度新自由主義的方向にゆり戻そうとしたが、失敗した。民主党は内部分裂も起こし、有権者は幻滅した。12年衆院選で民主党は歴史的大敗を喫し、09年の300議席は57議席に。

 

⑸寡頭支配(オリガーキー)の暴走(2012年~現在)

 安倍政権が戻ってきたときには何のブレーキも残っていない。民主57議席は戦後最小の最大野党なのだ。とは言え安倍政権は票数を増やしているわけではない。有権者の10%以上が棄権。低投票率と野党の分断が、安倍政権を支えている最大の奇跡である。「日本を取り戻す」「この道しかない」と、9条改憲の企て(13年)、特定秘密保護法(同)、辺野古新基地建設推進(13年~)、集団的自衛権行使への解釈改憲(14年)等々に突き進む。

安倍政権の特徴は消極的支持率も積極的不支持率も高いということだが、カジノ、共謀罪、働き方改革等政策の支持率は低い。政策は支持しないのになぜ政権を支持するのか。日本人が集団的にこの道しかないと思いこまされているからだ。消極的支持をするか背中を向けてしまうか。それをどう乗り越えていくかが今後の課題である。

アメリカの大統領選にしても日本の国会にしても、中道で行くのかそうでないのか。世界中で中道か否かの論争をやっているが正解は出ていない。日本の展開を考えた場合、イギリス労働党の敗北がブレグジット(イギリスの欧州連合離脱)に繋がっていったということは、他山の石として大いに学ぶところがあると思う。(や)