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2021連続講座「遺族の悲しみとグリーフケア」講師:若林一美さん(ちいさな風の会 世話人代表)

 女性としての生き方を探る中で、「死」をテーマとして学び始めたのは、妻・娘・嫁による看病が当然とされる状況において、がん治療の最前線を取材したことが大きなきっかけだった。欧米では、すでに1960年代、「死を拒絶する社会」への問題提起から、様々な分野において死生観の再構築が進められていた。しかし、日本では、まだ「病名告知の是非」が最大の関心事であり、ホスピスもほとんど知られてはいなかった。

 1988年、「毎日新聞」に半年間、「あー風」を連載したことをきっかけに、様々な理由で子どもを失った親たちが集う「ちいさな風の会」が発足し、その世話人を務めてきた。周囲に理解されない想いを抱え、孤立感を深める遺族たちは、「ちいさな風の会」の会合を、「なんでもない人のような顔をしなくていい場」、「元気になりなさいと言われない場」として受け止める。厚意であることは分かっていても、遺族にとっては、慰めや励ましが辛くなる。定例会の入退場は自由、出欠も取らない。話したいことだけを話し、話さないでいることもできる。名簿もない。会への加入を家族に隠している人もいる。だから、ある会員は「ドーナツみたいな会」と言う。

翌89年からは文集も発行し、30数年間に46冊を数える。とはいえ、会合で言葉を発するまでに、さらに文集に書けるようになるまでには、一般に推測される以上に、はるかに長い時間がかかる。また、この30年間の変化としては、① 交通事故による子どもの死から自死の増加、② 90年代からの男性(父親)の参加、③ 医師や宗教家など専門家からの紹介で参加する人の増加、などがみられる。

 死別の悲しみは、人それぞれであって、比べようもない。だから、分かりやすい答えを求めるべきではなく、パターン化した、あるいは、決めつけの対応は、むしろ、遺族を傷つけてしまう。亡くなった人は見えないけれど、残された人の心の中にいる。遺族は心の中にいる死者に向き合っていかざるを得ない。とりわけ、子どもの死によって、親としての自分の存在が揺らぐ。

 それでも、「人は人との関わり、交わり」のなかで癒されていくことを改めて感じている。「ちいさな風の会」の理解者・支援者による文集『Beyond Sorrow(悲しみを超えて)』は、「遠くからひっそりとサポート」する姿勢である。誠心誠意の気持ちや行為は、たとえ時間がかかったとしても、伝わる可能性があることが一つの希望となる。体験した者と体験していない者との壁を超えるコミュニケーションが、そこに成り立ちうるのではないか。(眞)



【イベント詳細】2021連続講座「進めたい「いま」、弾力ある社会へ」

講師

2022年2月19日(土)13:30〜15:30

「2021連続講座「遺族の悲しみとグリーフケア」講師:若林一美さん(ちいさな風の会 世話人代表)

形式

オンライン(zoomウェビナー)

参加費

1,100円(税込)

定員 50名(要予約)

【メッセージ】大切な人を失い、何を糧として生きてゆけばよいのでしょうか。死や死別について、これまで30年以上にわたりかかわってきた「ちいさな風の会」(子どもを亡くした親の会)の活動なども含めてお話しさせていただきたいと思います。私たちのくらす日常生活が、悲しみを通してみるとどのようなものにうつるのか。社会のありよう、人と人の関係性など遺族の証言などを中心に、「人が人を支える」とは何かを、ご一緒に考えていきたいと思います。

【プロフィール】立教大学大学院修了。デススタディに早くからとりくみ、子どもを亡くした親の会「ちいさな風の会」の世話人を務める。『死別の悲しみを超えて』(岩波現代文庫、2000年)『亡き子へ』(岩波書店、2001年)『自死遺族として生きる』(青弓社、2021年)他。