講師の近藤敦さんは名城大学法学部教授で専門は憲法。ストックホルム・オックスフォード・ハーバード大学客員研究員。移民政策学会会長を務める。総務省・愛知県・名古屋市等の多文化共生推進プラン作りに参加。出入国管理法(入管法)改正のポイントと問題点の解説、多文化共生時代の憲法解釈について述べた。
「移民」を外国生まれの人と定義したOECDの表(2017年)によれば、移民の数は36か国の平均が人口の10%、日本は1.7%で先進国の中では少ない。日本が移民を受け入れないとしつつ、外国人労働者を多く受け入れるのは、日本では移民を「入国の時点で永住権を有する者」で、「就労目的の在留資格による受け入れは移民には当たらない」としているからである。18年の入管法改正によって新たに創設された在留資格である「特定技能1号と2号」を解説。改正の問題点の1つとして、「特定技能1号」の在留資格が最長5年間で、技能実習の期間も含め8年以上も家族の帯同を認めないことは、家族結合の権利(自由権規約)の侵害となる可能性がある。技能実習制度を廃止し家族の帯同が可能な「特定技能2号」の受け入れを中心に考えるべきであると指摘した。
日本の多文化共生の理念は文化の選択の自由、平等、共生である。ヨーロッパ諸国の自治体のインターカルチュラリズムに近く、文化的多様性を都市の活力や革新、創造、成長の源泉とする政策である。
「文化の選択の自由」は国籍や民族などの異なる人々が互いの文化を認め合うこと。多言語化に「やさしい日本語」のメニューを加えて、例えば災害時「危険ですから避難してください」では理解できないので「逃ゲナサイ」を教える試みなどをあげる。さらに外国人を自国に帰すのではなく日本に定住してもらうことを念頭に置くと、日本語教育をボランティア頼みではなく国が学習支援をするのは当然のことである。それと同時に「日本語教育に関する法律」(2019年)が成立し、「家庭における言語(母語)の重要性に配慮する」が規定された。
憲法学者としての観点から、憲法と人権、人権条約と人権について戦後の外国人政策の基本理念と新たな権利問題を4つの時期に分けて解説。①1945~79年(排除と差別と同化の時代)は市民的権利 ②1980~89年(平等と国際化の時代)は社会的権利 ③1990~2005年(定住と共生の時代)は政治的権利 ④2006年~(多文化共生の時代)は文化的権利が、それぞれ重要課題だったとする。
日本が1979年国際人権条約を批准して難民条約に加入したことによって80年代は劇的に変化し、平等と国際化の時代に入った。当時の争点は指紋押捺問題等で市民的権利と呼ばれた。90年代に安定した定住者が出て来ると政治的権利が求められ、まずは地方参政権を要求する裁判も起こされたが、法律を変えれば可能であるという最高裁判決に留まっている。自治体では住民投票に外国人が参加できると定めているところもある。
今、焦点があたっている文化的権利は、憲法にはないが人権規約にはあり、言語なども文化的権利として認識されている。明文上はないが判例上で認めた例として、二風谷(にぶたに 北海道)訴訟判決を紹介。伝統的なアイヌ文化の伝承が二風谷村でしかできないとして、それを奪うことは違法であるという判決を導くとき、自由権規約27条「自己の文化享有権」と同様の、憲法13条「個人の尊重」から導かれるとしたという。
教育を受ける権利は従来社会権とされてきたが、文化的要素を持つものであり見直す必要がある。憲法26条と13条によって「多文化教育を受ける権利」の保障とも解釈できるとして、複数の条文を結び付けて憲法にはない新たな権利を導く解釈手法(融合的保障)で人権条約と憲法の整合性を図ることができる(人権条約適合的解釈)とした。
外国人の人権をめぐる憲法解釈をめぐっては、「わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶもの」として「平等」と「共生」を謳う。「平等」では憲法14条と人種差別撤廃条約中の人種差別の禁止には民族差別も含まれる。外見から外国人と判断して職務質問をし、在留カードや旅券等の提示を求めることが日本ではあるが、欧米では人種差別になる。
「共生」は憲法前文の「諸国民との協和」や11条・97条の基本的人権の保障から、国民と外国人との共生に向けた憲法的解釈ができる。永住市民の参政権は、地方選挙権が65か国で認められていること、国籍取得率がOECD諸国の中で日本は極端に低いことをあげ、今後の課題として、差別禁止法、自由権規約などの個人通報制度、外国人の地方参政権、複数国籍の容認等をあげた。(や)